~ Drug History & Potential - ドラッグヒストリー&ポテンシャル ~
『ドラッグの歴史と可能性』 第二弾は “LSD”
.
歴史と可能性というタイトルにとても相応しいドラッグと言えるLSDについて色々と書いてゆきます。
.
イメージ通り
このドラッグ半端じゃありません。
歴史も可能性も凄いです。
ワンダーランドへの切符をベロの下へ入れてしばらく待つと...
気がついたら何かの事に夢中になっている
思考パターンがいつもと違う
動きたくなったり気分が高まってくる。
物が歪んで見えたり
雲が動いて見える
植物が動いて見える
『ん、動いてるのか?止まってるのか?
いや、動いてるぞ。
これはLSDの視覚作用だな。
効いてきたぞっ! !』
という感じでそうこうしていると...
...
...
すべてがいつもより輝いていて凄くて楽しくてたまらない感覚。
子どものように無邪気で好奇心旺盛になる。
音楽が楽しい、気持ちいい、音が掴める。音楽が最高。
エネルギー溢れ出てきてアクティブになる。
エゴや自分のリミッターを外すことができる。
時にサイケデリックワールドに迷い
戻れなくなる不安が襲ってくることも
LSDの効果の強さに驚かされることも
サイケデリックにエゴ(自我)がぶっ飛ばされKOする事だってある。
バッドなトリップをしたとしてもきっとそれは後で良い経験だったと思えるはず。
もし辛すぎる状態を回避したい状況があったらデパスなどの抗不安薬や睡眠導入剤などで脳機能を落として、バッド回避してしまえばいい。
怪我や事故にはしっかり注意して、トリップする場所と環境や精神状態を整えてから楽しむ心と天然水をたんまり持ってサイケデリックワールドへ旅立とう。
自然のあるアウトドアでパーティーやレイブムードな環境で音楽を聞いたり踊ったりして羽目を外すのは鉄板の楽しみ方。
1人の時は、トリップの事前に水分や食料を揃えて家で楽しむ環境を整えてから音楽を聞いたり映画やYoutubeを見たり、パソコンを楽しんだり。
閉鎖空間に飽きたら外を散歩しに行くといつもの風景がワンダーランドになっている。
トリップのピークが過ぎて終わりかけの頃にマッサージや温泉なんかで締めくくるとそれは完全なるハッピーエンディングになるだろう。
.
.
.
LSDは心を裸にしてしまうのでシチュエーションなど取り扱いには十分注意するべき物質。
曲がりすぎると良くも悪くも人格さえ変わる事があるから、曲がりすぎる事には十分気をつけたい。
しかしLSDが人々をより有意義で充実した人生に変える手段になり得ることを私たちは知っています。
そして脳や精神、魂を覚醒させるかもしれない奇跡的な可能性を秘めている
不思議な物質“LSD”
.
..
...
世界を変える勢いでムーブメントを起こしたLSD
知っている人も多いと思いますが、
まずは誕生のルーツから辿ってゆきます。
LSDの誕生
当時アルバート・ホフマンはスイスのサンド社にて麦角アルカロイドを頭痛治療や避妊治療など医学的に有効利用するべく、指令を受けて研究をしていた。
1938年にLSDを合成して動物実験をおこなったが、『落ち着かなくなる』程度の効果しか認められずその研究は中止された。
それから5年後ホフマンは『奇妙な予感めいたもの』を感じて、再びこの物質を研究を始めた。
1938年4月16日
LSDを結晶化させる際に極微量のLSD液がホフマンの指先につき、吸収されてしまいめまいが起きて実験を中止せざるを得ない状況に陥り、自宅へ帰宅しそれからも刺激的な幻想を見たり、光や色彩がより激しく強烈に見えたという。
この時アルバート・ホフマンが人類で初めてLSDのサイケデリック体験をした。
1938年4月19日🌛🚲🌞
ホフマンは再びLSDを服用し自己実験を行った。
以前より更に深いトリップをして、思考や感覚の変化が深まるにつれて実験の記録が困難になり自己実験の供述を記録していた女性助手に家に送ってもらうことに。
女性助手に自転車で送ってもらっている途中、視野にある全ての像は揺れ動き歪曲化され、自転車が一向に進んでいるように感じられなかった。
(自転車の日を記念するLSD吸取紙)
.
↓↓↓ アルバート・ホフマンのLSD体験談 ↓↓↓
ホフマンは家に着いても幻覚症状は一向に治まらず、助手に医者を呼んでもらっていたが、その間に隣に住んでいる婦人が牛乳を差し入れてくれた。
空間が全て回転し、部屋の中のものや家具がグロテスクに変化し、まるで命を持っているかのように絶えず揺れ動き、隣の婦人も色の黒い醜い顔をした意地の悪そうな魔女に見えた。
医者はホフマンがとてもしゃべれる状態ではなかったが、瞳孔以外には異常は認められず、ホフマンをベッドまで運ぶとそばで観察しているだけだった。
やがてその感覚が消えると、ホフマンは感謝と幸福な気分が満ちてくるのを感じた。
そして万華鏡のように幻想的な現象が起こり始めるのを見た。
視界は環状と螺旋状が開いては閉じ、あたかも色彩の噴水のようであり、絶え間ない流れの中に新しい配列と交差が形作られ、戸の掛け金の音や自動車の音とともに視覚的世界が変容し、それぞれの音にふさわしい色と形で生き生きと変化に富んだ形象となった。
ホフマンはそのまま疲れ果てて眠ってしまった。
翌朝、目が覚めたときはまだ疲労が残っていたが、快適な気分と新鮮な生命力がホフマンを満たしていた。
朝食はとりわけ美味しく、朝食後の散歩ではあらゆるものがきらきらと光り輝き、世界は再び創造されたかのようであった。
LSDはバラエティに富みしかも刺激的な酩酊を生み出しながら、後に残ることなく、実験の後でホフマンが感じたのは肉体的、精神的爽快であった。
と、この様な誕生のストーリーがあります。
LSDを生み出し人類で初めてトリップして102歳まで生きた
ホフマン博士はまさにレジェンド、記念すべき人ですね✨
2008年4月29日に102歳で、この世から魂がお亡くなりになったホフマンさん
本人は書いた本の中でLSDの事を
“ プロブレムチャイルド ・ 問題児 ”と呼んでいましたが,,,
いや、ホフマンさん!!
LSDは物凄く素晴らしい人類の発明だと思います。
世界に良い変化をもたらす様な存在でも異端児や問題児だと言われ、煙たがられる様な世の中だと思います。
LSDは人をより賢く、より幸せにより健康にすることもできます。
素晴らしく奇跡的な物質です。
ホフマン博士が世界にもたらした素晴らしい影響は計り知れません。
私達はホフマン博士をリスペクトしております。
日本から愛と情熱を込めて、ありがとうございます。
.
.
.
現代のLSD
2021年9月28日
つい最近ではイーロン・マスクがCodeConというソフトウェアハッカーとテクノロジー愛好家の年次会議インタビューの質疑応答にてサイケデリックの質問に対してこの様な感じでコメントをしました。
質問者
『私達は宇宙について多くの時間を費やしましたが、内部空間についてお聞きしたいと思います。
人類を火星に送る前に、人類の破壊的な傾向について考えています。
例えばDMTですが、人類の破壊的な傾向に対処する上でサイケデリックスはどの様な役割を果たしますか?』
司会
『これについては明日話しましょう』
イーロン・マスク
『いいよいいよ』
イーロン・マスク
『私が思うに一般的に人々はサイケデリックにオープンであるべきだと思う』
“少数の方から拍手”
“客席から『イェア!!』という声が入る”
.
イーロン・マスク
『イェア、あー、イェア、あー .
..
法律を制定する人の多くは、ある種の異なる時代のものです。したがって、新しい世代が政権を握るにつれて、サイケデリックスの恩恵に対する受容性が高まると思います。』
この様にイーロン・マスクはコメントしました。
.
LSDマイクロドーズ
.
世界的なITやビジネスのチャンピオンが集まるの起業家の街シリコンバレーではマイクロドーズ(少量摂取)をして、仕事のパフォーマンスを上げたり想像力や創造力を高めたり、ビジネスに役立たせる事ができると注目されている。
アルバート・ホフマン氏も最後の数十年を通して微量摂取していたようです。
シリコンバレーを筆頭にLSDマイクロドーズのプライベートセッションや集団セレモニー、マイクロドーズをコーチングするツアーやサービスも出てきていますね。
マイクロドーズは通常摂取の1/10以下の量を、耐性も考慮して4日〜1週間ほど期間を空けて摂取していく。
サイケデリックス研究非営利MAPSのエグゼクティブディレクターであるリックドブリンはマイクロドーズに対してこう述べています。
「マイクロドーズはあなたの認知処理や特定の方面でわずかに強化されています — より創造的で、より集中的で、少し気分が高揚します—しかし、あなたは決してつまずきません。
そして、あなたは運転することができます。
線量が高ければできないようなあらゆることをすることができます。」
LSDは身体への害や依存性はないとされているので、マイクロドーズはより健康的に活用できると思います。
LSDはすでに素晴らしい形で活用されて安心して摂取できる環境を提供するサービスが出てき始めています。
DMTのアヤワスカなどにも南米やいくつかの国々でシャーマンやマスターなどによる導きやサポートを施すセレモニーが点々と存在しています。
サイケデリックは先駆者やより良い先導者の導きとサポートが必要な特別な精神の旅。
創造性や精神性に真剣な人達はサイケデリックの世界を冒険し探求しています。
人々がLSDを上手く活用していく未来がすでに見えてきてますね。
.
.
.
LSDの過去
.
LSDは過去に様々な大きな社会現象ムーブメントを起こし世界の歴史に大きな影響を与えました。
・CIA洗脳計画・MKウルトラ
└1953年CIAらにより行われた洗脳実験
1950年代初頭CIAが世界のLSDの全供給を購入するために約2700万円を支払うように手配しました。
これを米国に持ち込み、病院、診療所、刑務所、その他の機関に広め始め、偽の財団を通じて、研究プロジェクトを実施し、LSDとは何か、人々がそれにどのように反応したかを調べました。
彼らは、LSDが冷戦の心理的武器やマインドコントロールとして使用できると信じていました。
約19億円の資金が投じられ数万人の囚人や精神病院患者がLSD実験体にされた。
しかしLSDを洗脳、自白を引き出すのに使われたが効果は個人差が激しく「あまりにも予想だにしない結果を生む」ということでLSDを使った実験は打ち切りとなった。
・サイケデリック・ルネッサンス
└1960年代頃に一気に人々にサイケデリックスの世界が広まっていった。
(LSD、MDMA(「エクスタシー」)、DMT、シロシビン、アヤワスカ、ペヨーテ、イボガインなど)
サイケデリックトリップの影響で人々が政府や世の中のおかしい仕組みに疑問を持ち始め、ヒッピームーブメントへと繋がっていった。
・ヒッピームーブメントとサマー・オブ・ラブ
└10万人もの若者たちがサンフランシスコのヘイトアシュベリーに集まり愛と自由と世界の平和を願い、大地に暮らしサイケデリックやパーティーをして自由に暮らし踊った。レイブパーティーの起源とも言われたりラブ&pieceを求めるヒッピー文化が始まった。
LSDに大きく関わった人物
オルダスハクスリー
アルフレッドハバード
ビートルズやジミーヘンドリックス
ジョン・F・ケネディ
ラム・ダス
R.ゴードンワッソン
スティーブ・ジョブズ
映画 “カッコーの巣の上で” 原作者ケン・キージー
オーズリー・スタンレー
テレンス・マッケナ
.
.
.
まだまだLSDに関する影響力のある人は数多くいますが
個人的に一番興味がある人物は
ティモシー・リアリー
という方です。
最後にLSD革命家 ティモシー・リアリーについて書かせていただきます。
【ティモシー・リアリー】
1920~1996
アメリカの心理学者で元ハーバード大学教授
LSDで世界を変えようと革命活動を行い、サイケデリックの伝道者としてヒッピーやLSDを評価する若者やアーティストなどの支持を集め精神文化やサイバーカルチャーへ影響を与えアメリカから世界を揺るがした。
当時のアメリカ大統領 “リチャード・ニクソン” から
『ティモシー・リアリーはアメリカで最も危険な男』と呼ばれ
ティモシー・リアリーを筆頭にサイケデリックによる驚異を恐れ
政府はLSDを非常に恐ろしいものと誇大広告をして印象操作し厳しく取り締まっていった。
そんな彼はフォロワーにこの様に言っていた
『Turn on Tune in Drop out』
(ターン・オン、チューン・イン、ドロップ・アウト)
“電源を入れ、調整し、ドロップアウトする”
.
.
.
ティモシー・リアリーは
1920年に生まれ1936年高校では、生徒会長、学校新聞編集長を務め、新聞で学校の全体主義を批判し校長からの大学の推薦の機会を失う神学、大学に2年行き、陸軍学校へ
軍組織の中上官へ逆らい、組織的な無視に合う。
そして、軍学校から無視の無罪を発表され学校を去るその後、おじから説得され別の大学に行くことになるが、ガールフレンドの居る女子寮に忍び込んだ事が原因で退学になる。この時点で、彼が強く自由の思想がある事がわかりますねそして、行動力も。
1943年徴兵命令で配属され、しばらくして軍の方針で心理学の課程を修了させるという事で大学で9ヶ月学び、軍の精神分析コンサルタントとして転属した配属先で後の妻となるマリアンヌと出会うリアリーは患者の意図抜きで判断する治療法に疑問を抱いていた。
ある精神科医が主張した、対人間の相互作用で人格が構築されるという理論を進展させ、また人格検査のモデルも作った。研究に参加していた女性と不倫をし、1995年に妻マリアンヌは自殺する。病院の心理学研究所理事長の地位を捨て、ヨーロッパを放浪する。
バークレー大学時代の友人から、マジックマッシュルームを食べて神秘的な体験をしたという話を聞いたが、リアリーはこの話についていけなかった。この話をした彼の仲介により、ハーバード大学に教職を得た。
《サイケデリックとの出会い》
1960年夏、メキシコ大学の人類学者が、マジックマッシュルームを試さないか?とリアリーにもちかけたという。
(当時、マジックマッシュルームはカトリック教会による徹底的な弾圧によって植物学者にさえ存在が否定されていた)
リアリーがキノコを試したところ、古代文明の様々な場所を旅し、生物の進化の過程を辿るという幻覚体験が起こったという。
彼は、行動を変化させる鍵は、自己洞察であると考えていたが、キノコによって洞察を瞬時に行う事が出来た。
リアリーはこの体験に衝撃を受け、サイケデリックの研究を行う事にするLSDの開発者から合成したシロシビンを入手し、研究を開始する知人から、これは「聖書」にある『禁断の実』で研究を阻止するだろうから、ゆっくり進める様に忠告した。
1961年受刑者とシロシビンを使ったセッションを行い2年で9割出所し再犯率を70%から10%に低下させ人の行動は文化に依存したゲームであり、家族、国家、自分をプレイしてるが、これを断ち切る最も有効な手段は悟りを誘発するドラッグであると発表した。
1943年にアルバートホフマンがLSDを発見した1962年、LSDを通常量の100倍摂取し、神秘主義者になった医師が彼の元へ訪れシロシビンは、LSDに比べて大した事がないと嘲笑したので、リアリーは評判が悪いと考えていたLSDを試す事になる。
リアリーはLSDを体験し、全ては自分の意識が作り出したことに過ぎないと悟り人々がアメリカに大量生産された操り人形だと気付き、意識をエネルギーがダンスしている様な状態に自己を導き生涯で最も強烈で、生き方を変えてしまうものであったという。
当時反対派による運動が起きていたが、リアリーはLSDを研究に持ち込み
衝突を避けるために、かのアンドリュー・メロン家の女性資産家のペギーに出資をしてもらい、メキシコのジワダネホでサマートレーニングキャンプを行うことにした。
反対運動の一件で麻薬取締局から検査官が派遣され知り合いになったが、彼がCIAが2500万ドルの予算でLSDの研究を行っているという極秘情報を教えてくれた。
このCIAの研究が後にMKウルトラという洗脳実験と世に知られた。
1963年、ハーバードから解雇されたという知らせが届くが、すでに退職していたリアリーの信頼を落とす為の行為であった出資者の一家の跡取りの弟にLSDを与えた事で別荘に研究センターを頂く機会を設け「カスタリア協会」と名乗り、ひっそりと研究を進めた。
1963年11月にケネディ大統領暗殺のニュースがあり12月にケネディの愛人のメアリーから「ケネディがあまりにも変化して制御出来なくなった」と連絡がある。ジョンFケネディはLSDを使用していた事は有名真実に気づき政府の言う事を聞かなかったと思われる。
1964年にカーニバルでモデルのナネットと出会う。
カーニバルでサイケデリックな風体のマジック・バス〈ファーサー号〉で全米を巡回し、各地でアシッド・ショーを行ないLSDを広めるツアーをしている「カッコーの巣の上で」の作者ケン・キージーとLSDの実験をする一行がバスで会いに来たのでこれを機に視野を広げる為皆に、世界旅行を提案し、モデルのナネットと結婚して、世界旅行する事になった。
その後にアメリカに戻り、音と光でLSD体験を起こすというワークショップを行っていた。
有名になったリアリーは、ある日持ってるはずのないマリファナの所持で逮捕され、裁判で闘う事になる合衆国政府は1960年後半にLSDを麻薬と認定された。それに対しリアリーはLSDを擁護し続け、その後、ジョンレノン、オノヨーコなどの著名人等と活動を続けた。
そして訴訟により逮捕される刑務所の真理テストの多くはリアリーが設計したものだったので温厚な人物に見せ脱走しやすい刑務所に移り身体を鍛えた後に脱獄し、
スイスにて亡命生活を送るが再び逮捕され、麻薬組織のボスの汚名を着せられ起訴された。
当時の大統領が失脚するとしばらくしてから釈放され1976年にやっと自由の身になる。刑務所では、宇宙移民の構想を練り「神経政治学」と発表し宇宙移民、知性増大、寿命延命のつづりの頭文字を取りスマイル(SMI2LE)と名付け宇宙移住を構想した。
またその頃に銀河系内の高次元生命体に接触する為4人チームでテレパシーを行い、19つの断片とひてメッセージを受信したというこれはシロシビンやLSDによる知覚の拡大により、機能していない部分にアクセスしこの様な事が出来たという。
その後リアリーは、幻覚剤ではなく、コンピューターの可能性について語っていた一貫して伝えている事は、LSDやコンピューターによって創造的に生きる力を強める事と自分自身で考える事が必要だという事である。1996年死去、頭部を切断し宇宙葬される。
リアリーはLSDを活用せよと唱え、刑務所に繋がれた。
彼が受信したメッセージの一つにこの様なものが。
『日本人は君たちの惑星で最も進化した種族だから、君たちの仲間を保護してくれるだろう』